• 令和時代の「公樹庵」は、次のような研究を行っています。

    1.ゴルフの文献目録の編纂

    発行年度 書 籍 名 著 者
    1879(明治12)年 百科全集 (体操及び戸外遊戯) (英文) V.カステール
    1884(明治17)年 丸善百科全集下巻(丸家善七:1518p.) ウイルレム・チャンプル
    1887(明治20)年 西洋男女遊戯法(普及舎:194p;20cm) ロックウード・瓜生寅訳
    1887(明治20)年 普通遊戯法(丹心堂:70p;19cm) 樋口亮
    1893(明治26)年 外国人取扱例規通纂 (598p.20cm) 警視庁 編
    1893(明治26)年 居留地制度ト内地雑居(経済雑誌社) 出口 卯吉
    1897(明治30)年 外交通商史談(東陽堂:294p.23cm) 渡辺修二郎
    1898(明治31)年 日本倶楽部(居留外国人) 日本倶楽部  編
    1901(明治34)年 実験普通遊戯法上巻 (榊原文盛堂) 高橋忠次郎
    1901(明治34)年 最新東京案内(綱島書店:45p.21cm) 東京倶楽部編
    1901(明治34)年 学校ホッケー(美満津商店:28p;15cm) 美満津商店体操部編
    1902(明治35)年 実験普通遊戯法下巻(榊原文盛堂:144p.図) 高橋忠次郎
    1903(明治36)年 *神戸ゴルフ倶楽部 開場式

     

    明治期の日本にゴルフ場は存在しなかったが、「ゴルフ」という用語は知られていました。スポーツでゴルフ程本を必要とするものはない。・・・凡ゆるスポーツのうちで、ゴルフ程多数の本を生んだものはない。『ゴルフ三昧』(1938.p192)
    「公樹庵」では明治期、大正期、昭和初期、昭和中期、昭和後期、平成期に発行された書籍で、「ゴルフ」の表示がある本を抜き出す作業を実施しています。今後は膨大な文献目録の編集を進め、2022年の刊行予定です。

    2.赤い毛糸のマークについて研究
    1936(昭和11)年頃、グリーン上でボールを拾い上げた位置に、数センチの長さに切った「毛糸」を目印に使用した、という記録があります。「毛糸」のマークは日本独自のもので、拾い上げた位置を「印=毛糸」で表示するためで、1975(昭和 50)年頃まで全国のゴルフ場で使われました。
    「毛糸」を目印にすることは競技規則になく、同伴者へのエチケット・マーナとしての小道具でした。「毛糸」のマークは誰(団体)が推奨したか、どのような経緯で普及したのか、どんな思考で使ったのか、など「毛糸」を導入した理由は不明です。こうした調査研究を実施します。

    3.作家のゴルフ
    数年前から、作家のゴルフに縁のある記念館を訪ねる小旅行に「こうりやま文学の森資料館:久米正雄記念館」(福島県郡山市) を計画しました。久米正雄は無類のゴルフ好きで、久米正雄記念館が所蔵している英国視察でゴルフをした十数種のスコアカードや愛用のゴルフ用具などを見学できました。
    文壇仲間を誘い、青蕃会と称する競技会を開き、JGAにゴルフ競技規則「スタイミー」の廃止論を唱えています。

    青蕃会御通知

    こおりやま文学の森資料館観覧券

     

    2020年の秋、秋田市立中央図書館「明徳館」を訪ねました。場所はJR秋田駅から徒歩約10分の距離でした。
    土曜日の閉館前で、急いで本館2階の石川達三記念室(郷土文化館)に行くと入口正面に写真撮影は禁止の張り紙、入口の小机に置かれたA4版の黄色の配布資料には、郷土の作家である石川達三を「石川達三と秋田」、「石川達三略年譜」、「石川達三の文学」に分けて解説している。
    ガラスケースの中には石川達三から寄贈された単行本、第一回芥川賞の受賞資料『蒼氓』(そうぼう)、書簡、原稿、幼児から晩年に至る写真、二科展入選の経歴を持つ油絵やスケッチの作品や愛用の文房具、碁盤、ゴルフ用具などの趣味道具が展示している。ちなみにゴルフ用具はドライバー・アイアン、ティペッグとボールでした。石川達三がコンペティションで受賞した新聞社と出版社の銘が刻まれた2つの優勝盃が飾られている。

    市立中央図書館 明徳館

    石川達三記念室

    石川達三記念室

    記念室全景

    翌朝、明徳館本館の写真撮影と千秋公園を散策しました。6時30分に「秋田教会の鐘の音」、7時の時報に「千秋の鐘の音」と音色の違う2つの鐘の音に感動しました。

    心に残る人々

    石川達三のゴルフは、久米正雄に初めてに誘われ、彼から「天才」と折紙が付けられたのが始まり。その後は「・・・先輩や仲間のゴルフを見ては業を盗みながら、自分の技術を育てて来た。・・・吉川英治がよく色紙に書いていたように「われ以外、みな我が師」であった。ただ持って生まれた一種の器用さがあって」と述懐している。石川の著作『心に残る人々』(1968.文藝春秋)文壇ゴルフ界、丹羽学校などのコンペティションで、シングルプレーヤーの実力を発揮した。

    下村海南(宏)の歌碑

    ゴルフバックの著者で、ゴルフに関する随筆は落穂集:六番茶(1929) 、飴ん棒(1930) 、動く日本:随筆評論(1937) など数多くの著作がある。一方、下村宏は歌人として号(海南)、海南自筆の歌が刻まれている。海南は「花巻温泉」の名づけ親で歌碑もある。

    山の秋の水はさやけしとちの實の水底ふかく沈めるが見ゆ

    下村歌碑は和歌山県(潮岬) 、兵庫県(西宮市苦楽園) 、熊本県(天草市船之屋町・天草市木戸馬場) に置かれている。

    ゴルフバッグ

    下村海南歌碑下村海南歌碑

    小笠原勇八・福島靖 ゴルフ研究所

    静岡県の伊東には洒落た川奈ホテルや川奈ゴルフ場があり、夏は涼しく、冬は温暖な気候が多くのゴルファ―を迎え入れてくれる。このゴルフのメッカで繰り広げられたゴルフは・・・。伊豆新聞連載『伊豆、伊東のゴルフ物語』から。

    伊豆・伊東のゴルフ